手のひらサイズのおもちゃ箱

片手におさまる日常を綴る。つもり。

気になったので…(まだまだ勉強不足)

惰眠を貪りすぎて首を寝違え、左を向くことが難しくなってしまった皆さんこんにちは!

背中まで痛いです。矢野渡来偉です。

職場で後ろから名前を呼ばれた際、誤って勢いよく振り返ってしまった為。首から背中にかけて電流が走り小さく悲鳴をあげたのを近くにいたお子さんが不思議そうに見ていました。

恥ずかしかったです。

 

・語源がきになるお年頃

何を隠そう僕は日本語が好きです。もちろんまだまだ勉強不足ではありますが…

特に語源がきになるお年頃で、これは本当に面白いんですよ。

その言葉の持つ奥行きを感じることができるし、なんだか愛情が湧くんですよね。

 

・そもそも…

そもそも我々が話している言葉。この「言葉」言う言葉の語源は一体何でしょう。文章まどろっこしいな。

とにかく気になったので調べてみました。

 

言葉という単語はもともと「言(こと)」と「端(は)」の合わさった複合語であるらしいです。「言」には「事」と同じ意味があって、事実にもなってしまうような結構重めのいみを持つようになっていったようで、両者の差を作るべく「言」に事実を伴わない口先だけ軽い意味を持たせる為に「端」の字を付け足し「言端(ことば)」という言葉が生まれたようです。

 

なるほど「言」と「事」二つ意味被ってたら使いづらかったんかな?

今の自分たちよりよっぽど言葉持つ意味に対して敏感だったんだろうな…

 

・たくさんあったんだんね

奈良時代の「万葉集」では「言葉」「言羽」「辞」の三種類の文字が登場していたそうで、「言羽」も軽い物言いを表しているとのこと。

「言」の「羽」っていかにも軽いイメージでなんかオシャレだと思う。

 

他にも沢山あって、平安時代の「古今和歌集」や「土佐日記」では平仮名で「ことば」、「枕草子」だと「詞」、室町時代の「徒然草」では「言葉」が使われていて、この沢山の「ことば」の中で現代まで「言葉」という字が残ったかとゆうと「古今和歌集」の中の仮名序

 

「やまとうたは ひとのこころをたねとして よろずのことの葉とぞなりける」

 

という歌にあるように「葉」という字は意味の豊かさを表す文字であったかららしい。

うーん、完全に受け売りだけど…。たしかに葉っぱが広がっていくイメージってそんな感じする。「人の心を種にして」ってところがとても気に入ってる。

この「言の葉」が使われていくにしたがって、「ことば」にも「言の葉」の意味が含まれるようになって、「言葉」は言語を意味する言葉として一般的になったそうな。

 

・「葉」あるってことは…

「言の葉」が「人の心を種として」広がっていくものなら、きっとその広がりを支えるだけの大きな「根」が地中には埋まってると思うんですよね。

その「根」の部分がなんなのかどんな風に広がってるのかを考えて体現するのが役者なのかなって思ったりしました。偉そうにごめんなさい…

 

 

言葉が出来上がっていく過程ってやっぱり面白い。

 

 

 

情報ソース↓

http://gogen-allguide.com/ko/kotoba.html

勉強になりました、ありがとうございます。後引用しまくりました、恥ずかしいほどに…反省です。もっと勉強します!

もっといろんな語源をしっかり根の部分まで調べてまた書きたいと思います。